【司祭メッセージ】
助任司祭 枇杷晃平 神父様
「わたしたちは”クリぼっち”じゃない」
「クリぼっち」という言葉があります。若者の言葉で、「クリ」スマスを一人「ぼっち」で過ごすことを意味する言葉です。日本ではクリスマスを恋人と過ごすという文化が定着しており、一緒に過ごす恋人がいないことを自嘲気味に嘆くことばとして使われているような気がしています。
私はこの言葉を聞くにつけ、「自分とは無縁だなあ」と思わされます。幼いころから教会ではキャンドルサービスとミサ、パーティが開かれ、「ぼっち」とは縁遠い12月24日、25日を過ごしてきました。教会の中では恋人の有無によって左右されない、クリスマスの真の意味を分かち合うことができると思います。ことしは司祭になって初めてのクリスマスということもあり、多くの方々と主のご降誕の喜びをともにすることができることを本当に楽しみにしております。
一方で、さまざまな事情のため、とくに年齢やご病気のために教会でクリスマスを祝うことの難しい方々に何ができるのか、ということを思わされます。「孤独」というものは、そうした方々にとって「希望」することを難しくするものではないかと、待降節、また聖年の締めくくりにあたって考えています。
わたしたちがご降誕をとおして祝うのは「インマヌエル」と呼ばれるお方がこの地上に来られたことであり、そしてその方は「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方とともにいる」と仰せになった方です。私の司祭叙階のカードのみことばは「光は暗闇の中に輝いている」(ヨハネ1・5)ですが、クリスマスは日本では(半球が同じヨーロッパでもそうですが)、冬至という、最も闇が深くなる時に祝われます。
もともと主のご降誕をこの時期に祝うのは、ローマでの太陽神の祝祭の日がキリストの降誕と結び付けられたからだといわれていますが、イエス様こそどんな時も「わたしたちとともにいてくださる方」であり、闇を照らす光であることを、ご降誕祭まで一人でも多くの方とのかかわりをとおしてあかししていけたらいいな、と思っています。
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更新履歴
2025年11月28日:「待降節の典礼」を更新しました。
2025年11月21日:「司祭メッセージ」を更新しました。
2025年10月31日:「11月の典礼」を更新しました。
2025年10月18日:「司祭メッセージ」を更新しました。
2025年10月 4日:「10月の典礼」を更新しました。
2025年 9月28日:「司祭メッセージ」を更新しました。
2025年 8月30日:「9月の典礼」を更新しました。
2025年 8月 1日:「司祭メッセージ」を更新しました。







